与三郎家

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 のち政信の子に真渕が生まれ、与三郎家を起こした。真渕は縁家に養子にいったので、与三郎家は先妻の次女の聟政孝にゆずったようである。真渕が自ら「拙者など岡部氏の末流を次で」(『県居書簡編』)と述懐しているが、岡部家の分家に生まれ、生活は豊かではなかった。また父政信を評して「定信農人となる」と杉浦比隈満が『古学始祖略年譜』に記しているように、旧家の末流に見舞ってくる経済的運命は神職ではまかないきれず、農業をしいられたのである。