県居神社

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 前述のように、郷愁の思いを寄せていた郷里浜松には、いま真渕を祭神とする県居神社(当市東伊場、県居霊社を遷座)が、その生誕地(与三郎家)後背の丘陵にまつられていて、学徳の神として家郷の人々から深く崇敬されている(その著書・略歴は次表「著書目録・略年譜」参照)。
 
(表)賀茂真渕著書目録
古事記・日本書紀に関するもの
著書名巻数著作年代西暦年令
日本紀和歌略註明和二一七六五六九
仮字書古事記明和五一七六八七二
万葉集・祝詞に関するもの
万葉集遠江歌考寛保二一七四二四六
万葉解寛延二一七四九五三
万葉考二〇明和五一七六八七二
冠辞考一〇宝暦七一七五七六一
延喜式祝詞解延享三一七四六五〇
祝詞考明和五一七六八七二
古今和歌集など歌に関するもの
古今和歌集打聴二〇明和元一七六四六八
古今和歌集左注論寛保二一七四二四六
金槐和歌集校宝暦五一七五五五九
神楽歌考明和三一七六六七〇
催馬楽考明和三一七六六七〇
物語に関するもの
源氏物語新釈五四宝暦八一七五八六二
伊勢物語古意宝暦三一七五三五七
大和物語直解宝暦一〇一七六〇六四
国体に関するもの
国意考明和二一七六五六九
書意考明和六一七六九七三
歌論に関するもの
国歌八論余言拾遺延享元一七四四四八
にひまなび明和二一七六五六九
歌意考明和元一七六四六八
有職故実に関するもの
古器考寛延二一七四九五三
古冠考宝暦一〇一七六〇六四
音韻語法に関するもの
文意考延享四一九四七五一
語意考明和六一七六九七三
久邇闘致考明和二一七六五六九
紀行・日記その他のもの
旅のなぐさ(西帰)元文元一七三六四〇
岡部日記(東帰)元文五一七四〇四四
後の岡部日記延享二一七四五四九
県居問答書宝暦九一七九五六三

(表)賀茂真渕略年譜
年次西暦年令事項
元禄一〇一六九七三月四日、遠江国敷智郡岡部郷に生まれる。幼名三四
宝永 四一七〇七一一二月、杉浦真崎に手習を受ける。このとき国頭に入門する
正保 四一七一四一八このころ父母から古歌を学ぶ
享保 五一七二〇二四国頭家の歌会始まり出詠、政躬と称す
一七二一二五実名を政藤と改める
一七二二二六四月、国頭家の歌会において始めて春満に接す。春満五四歳
一七二三二七一一月、実名を政成と改める。このころ渡辺蒙庵に漢学を学ぶ
一七二四二八二月、甘露寺雅会出席、政成名
   四月、神立社雅会出席、效成名
   八月、柳瀬方塾亭歌会に出詠
一〇一七二五二九詠草に春栖の名がある
   浜松本陣梅谷甚三郎方良の聟養子となる
一四一七二九三三八月、浜松に帰省して入野臨江寺の雅会に出詠する。春栖名、国頭、方塾ら同席
一七一七三二三六五月、父政信没す。七九歳、法名田億宗閑居士
一八一七三三三七三月、上京して春満に学ぶ、同家の月並歌会に出詠、渕満・真渕を称する
一九一七三四三八三月、青楓亭の雅会に出詠する。同月、京都に戻る、和歌会詠草に賀茂真渕の名がある
二〇一七三五三九四月、春満家において『百人一首』を講ずる
   一〇月、浜松に帰省する
元文 元一七三六四〇四月、浜松に帰省、紀行『旅のなぐさ』(西帰)を草する
   一〇月、方塾亭の春満追悼歌会に出詠する
一七三七四一三月、始めて江戸に出て在満家に寄宿する
一七三八四二二月、浜松に帰省する
一七四〇四四七月、浜松に帰省、『岡部日記』(東帰)を草する
寛保 二一七四二四六『万葉集遠江歌考』成る
延享 二一七四五四九一月、実母没す
   九月、帰省、『後の岡部日記』を草する
一七四六五〇二月、田安宗武に和学御用仰付けられる
   九月、『延喜式祝詞解』成る
一七四七五一『文意考』成る
寛延 二一七四九五三三月、『万葉解』成る
宝暦 元一七五一五五六月、『万葉』会読をはじめる。
   九月、梅谷の妻没す
一七五二五六『三代集総説』『万葉集新採百首解』成る
一七五三五七『伊勢物語古意』成る
一七五五五九九月、自宅を古風に作る
一七五七六一六月、『冠辞考』成る。
   八月、『古事記頭書』成る
一七五八六二四月、『源氏物語新釈』成る
一七五九六三八月、『雑問答考』成る
一〇一七六〇六四六月、『古冠考』『直冠考』成る
   一一月、隠居する。
   一二月、『大和物語直解』成る
一二一七六二六六一月、賀茂県主家歌会始
一三一七六三六七二月、大和に旅する。
   五月、本居宣長に会う
明和 元一七六四六八七月、浜町に移り県居と号する
   『古今和歌集打聴』『歌意考』成る
一七六五六九『古今集序表考』『にひまなび』『国意考』『宇比麻奈備』『日本紀和歌略註』成る
一七六六七〇『万葉集竹取翁歌解』『神楽歌考』『催馬楽考』『神遊考』『風俗歌考』成る
一七六七七一『続万葉論』成る
一七六八七二『仮名書古事記』『祝詞考』『万葉考』『柿本朝臣人麿歌集之考』成る
一七六九七三『語意考』『書意考』成る。
   一〇月三〇日没し、江戸品川東海寺少林院に葬る
(参考文献 羽倉慎真『賀茂真渕翁伝新資料』・小山正『賀茂真渕伝』・三枝康高『賀茂真渕』)