彼はまた真渕を尊崇追慕する念が極めてあつく、真渕を祭神とする県居霊社修造に全力をかたむけた。この霊社勧進は天保飢饉のときでありながらも、城主水野忠邦(みずのただくに)の理解ある支援と、援助者の力によって、遠江百八十九名、その他三河・伊勢・紀伊を含めて約二百五十名に達し、浄財八十九両余に及んだ。【勧進牒】天保五年発起人有志から諸方の学徒に廻された県居翁霊社修造料勧進牒は、遠江国学精神の結晶ともいうべきであろう。願主連名には森寿治・関武雄・高林方朗・石川依平・小栗広伴らの名が見える。この勧進牒に、
「浜松の御城しらす殿のみこと、ふること偲びたまふ御雅心あつくましまして、翁(真渕)のおしへの手ふりをさへ慕わせ賜へるからに云々」
水野忠邦筆県居翁霊社碑銘(浜松市立図書館蔵)