真竜は郷村に在りながらも神官層や浜松の町人層と連携を保ち、各地に講筵や歌会を開いてその唱導につとめた。また先師を称揚する志が強く、真渕の霊祭を数度行なっている。真竜門の俊英は多く宣長に入門し、宣長学の継承者となった。【真竜門人】真竜の門人関係は百三十六名を数えるが、神官層は約十名、他の大部分は農商層・村落支配者層であった。このようにして真竜の学問は中遠西遠一帯の郷村にひろがり、富農商・村役人層に受容されていったのであった(高田岩男「遠州における国学の受容とその展開」『史潮』第六十六号)。真竜は文政四年八月二十三日没、享年八十二。昭和二十九年一月には、戦後最初の御贈位として正五位を贈られた。
遠江国学者系統表