加納諸平

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 【八木美穂】甕麿の継承者としては長子加納諸平と八木美穂がすぐれている。諸平は新居の高須芦根に算法を、中山美石(なかやまうまし)に素読を、刈谷三七に書を習っている。十六歳のころ和歌山の大平門となる。のち藩医加納伊竹の養子となり、紀州和歌山にとどまって終世郷里に帰ることはなかった。また紀州侯に用いられて、『紀伊続風土記』百九十二巻、『紀伊国名所図絵後編』の主な担当者としての活躍は、まことに見るべきものがあった。安政四年六月没、享年五十二。【鰒玉集 柿園詠草】彼の撰集に『類題和歌鰒玉集』、家集に『柿園詠草』があり、そのほか『曾丹集摘草』『竹取物語考』『枕草子註釈』などがある。