目次
/
第七章 文化の興隆
/
第三節 漢学・医学・蘭学
/
漢学
渡辺蒙庵
528 ~ 528 / 686ページ
江戸幕府が封建教学として奨励した朱子学に対して、批判的な学派が起こり、そのはじめに現われたものに古学派があり、その中心に荻生徂徠があった。徂徠学は太宰春台(だざいしゅんだい)らによってひろめられていったが、その門人渡辺蒙庵は浜松に漢学塾を開いていた。蒙庵は医師であったが、のちに招かれて浜松藩主に仕えた。諱は操、字を友節といい、蒙庵・竹亭と号し、享保のはじめころから古学を提唱していたもののようである。
渡辺蒙庵著老子愚読(浜松市立図書館蔵)