蒙庵の門人には国頭の子朋理をはじめ、前述の人びとのほか、飯野柏山・鈴木仙庵・内藤徳明・小沢玄沢らがある。徳明は貴平村の庄屋、玄沢は浜松連尺の医師、柏山は吉田(愛知県豊橋市)藩校時習館の漢学教授、仙庵も同藩の医師である。門人には藩士や豪農が少なくない。【蒙庵の著述】本称寺の住職釈躰空の『懐旧録』によると「当時学に従事する者、其門に出ざるはなし」とあり、(内田旭「浜松処士渡辺蒙庵に就て」『静岡県郷土研究』第十五斡)また蒙庵の碑文によれば、常に著述をもって楽しんでいたという。著書には『国語解刪補』『易学啓蒙講義』『老子愚読』『荘子口義愚解』など多数にのぼっている。安永四年(一七七五)二月二十七日没、享年八十九。墓所元魚町本称寺。