目次
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第七章 文化の興隆
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第三節 漢学・医学・蘭学
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漢学
田渕玄統
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このころ杉浦国頭の家で催す歌会には蒙庵も参加し、国頭と共に詩歌を詠ずることもあった。【小篠敏】藩主松平資俊・資訓のころ、浜松地方にも好学の気風が大いに興り、また大工町の医師田渕玄統の次男小篠敏(おざさみぬ)は、遠く浜田(島根県浜田市)侯の儒臣となり、藩校長善館の創設に努力した。敏は易学を修め、漢学は家学をうけて造詣が深く、著書多数を残している。