内田乾隈

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 内田乾隈は足立東郊の次男で、内田氏を継いだ。【八木正路 楚州】水野藩の儒員八木正路に従い、のち大雄庵の楚州に漢学を学んだ。年十九、江戸に出て朝川善庵の門に入り、さらに塩谷宕陰にも学び、推されて宕陰塾の塾頭となった。また蘭学を修め、蘭医として名声を挙げた。乾隈は藩主忠邦の天保の改革については『破地士等窠』を著して世論を喚起した。また安政のコレラ流行のとき『防疫貴目』を著し、井上藩に献策して予防消毒に努めた。