小沢衆甫

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 小沢家は代々浜松の医家としてすぐれた医方を伝えたが、衆甫は京都の皆川淇園(みながわきえん)について学び、その医業は大いに繁昌した。寛政十二年(一八〇〇)十一月没、享年六十五。墓所紺屋町心造寺。【仁庵】その孫仁庵もまた連尺の医家として知られた。