目次
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第七章 文化の興隆
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第三節 漢学・医学・蘭学
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医学
馬目玄鶴
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馬目玄鶴は字を思之といい、井上河内守に仕え、宣長・大平に入門、漢文・和歌にもすぐれていた。玄鶴の門人であり、また藩医の久保寿軒が和漢の学に通じたのは、師の薫陶によるところであろう。【登波子】玄鶴の次女登波子は幼いころから和歌をよくし、吉田藩士岩上九兵衛に嫁し、『登波子詠草』三巻をのこすほどの女流歌人として活躍した。玄鶴は文化五年(一八〇八)十月没、享年六十一。墓所三組町菩提寺。