村尾元融

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 村尾元融は文化二年(一八〇五)三月、浜松神明の医家村尾薫覚の三男として生まれ、通称良治、字は彦明、松蔭と号した。幼時久保寿軒に学び、江戸へ出て文政二年十五歳のとき、朝川善庵の門に入った。そこで儒学・医学を修めた。善庵の『大学原本釈義』『善庵随筆』両著の巻尾に、村尾元融同校とあり、善庵門下中での高弟として知られた。【続日本紀考証】元融は嘉永二年正月、『続日本紀考証』十二巻を脱稿したが、生存中には刊行されず、明治三年の初め、鶴舞藩知事井上正直(元浜松瀋主井上河内守)がこれを援助して出版をみるに至った。嘉永五年四月(一八五二)江戸で没。享年四十八。墓所芝三田聖坂功運寺。(内田旭『遠州の先賢浜松村尾元融』。

村尾元融著続日本紀考証(浜松市立図書館蔵)