岡村義昌

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 岡村義昌は天保元年(一八三〇)井上河内守の藩士岡村黙之助義理(よしさと)の次男として、近江国(滋賀県)蒲生郡石寺村に生まれた。幼名を鎌次とよび、ついで霆次郎と称え、のち貞次郎と改めた。弘化三年(一八四六)十七歳のとき、父義理のすすめによりオランダ語を学ぶため、大坂に出て緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)に入ったが、これは義理が時勢を考え、海外の事情を知ることの急を認めたためであろう。この義昌の用いた蘭和字書ズーフハルマ六冊が、大阪市の緒方洪庵記念保存会に寄贈された。義昌は緒方塾在学ののち、嘉永元年か二年ごろ兄の道章とともに長崎を目的として、九州地方へ遊学した。これも義理の考えで、西洋兵学砲術を修得させるためであった。

岡村義昌手沢本蘭書ズーフハルマ(岡村父祖事蹟)