足立双松

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 足立双松は東庭の長男で、文政十年(一八二七)浜松新町に生まれ、良斎と称え、明治初年に衛と改めた。双松はその号である。江戸に出て司馬遠湖に経史を修め、また竹内胃川院の門に入り、蘭法医学を学んだ。安政元年(一八五四)浜松に帰り、父祖の業をつぐかたわら子弟を教育した。【藩医 克明館】のちに藩医となり、藩校克明館の掌教を兼ね、ひろく有志と交わり、他藩の動静を視察して藩のために尽した。また蘭学が英学に移るとともに英語の研究も怠らなかった。門弟に多くのすぐれた人を生んだが、そのうち法学博士岡村輝彦、陸軍軍医監医学博士賀古鶴所、理学博士飯島魁らがあり、これらはみな浜松出身者である。晩年は読書に親しみ、明治三十八年十二月没、享年七十九。