江戸時代における教育機関として武士階級にはおもに藩校・郷校があり、庶民には私塾・寺小屋があった。
藩学つまり藩校は、幕府が昌平黌を設け学問を奨励すると各藩でもこれにならって開設し、天明・寛政ころには全国に約六十校、文化・天保期には七十校が新設、さらに時代がくだるにしたがってその数もふえ、江戸時代を通じて二百五十二校(辻善之助『日本文化史』)設立された。また私塾は享保以降に、寺子屋は天明・寛政以降にいちじるしく増加して、しだいに庶民階級にまで学問が普及された。
これら教育機関を通じて藩校ではいっぱんに儒学を中心として国学・習礼などが教科としてとりあげられたが、幕末になると医学・蘭学なども実学として重んじられ、武術も加えられた。寺子屋においては手習い・そろばん等が主体であったが儒学も教科として加えたところも少なくなかった。