水野藩が浜松に設けた藩校を「経誼館」という。これは水野忠邦が前任地唐津の藩校「経誼館」の名をそのまま用いたものである。『唐津市史』に水野藩の藩校設立を評して「赤貧な水野氏が経誼館を新築したことは偉大な功績である」と述べているが、浜松においてもまた同じことがいえるであろう。【経誼館棟札 塩谷宕陰】その設立は、「経誼館表門長屋新規建之 惣奉行拝郷縫殿直昭 天保十三年壬寅九月二十六日」の棟札によって(場所は現在の高町静岡県浜松総合庁舎)、またその設備はつぎの塩谷宕陰の文『送井口孟篤序』(弘化二年作)によって知ることができる。
「館を治城に修め、聖廟・文庫・講道の院・栖士の寮より、弓・銃・刀・鎗・練兵場に至るまで悉く備れる、館督・学監・統計・佐監あり、以て其務を管す、掌教・佐教・訓導・授読・各種芸師あり、以て其業を教ふ」
【宕陰存稿】また『宕陰存稿』の経誼館掲示と題する一篇には経誼館の学生心得が記されている。つぎにその一部を掲げてみよう(内田旭「浜松の藩学」『郷友』第一号)。