経誼館の儒官

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 経誼館に採用された儒官には塩谷宕陰(甲蔵)をはじめつぎの人々がある。
 小田切要助(藤軒)・司馬騰太郎(遠湖)・川澄万治(蘭坡)・春田玄蔵(九皐)・臼井可一郎(可堂)・塩谷量平(箕山)・吉松泰八(竹酔)・朝生良蔵・小田切鏗作(要助の子)。
 【経誼館閉鎖 井上藩の克明館】しかし、経誼館は弘化二年(一八四五)藩主水野忠邦の山形転封によって閉鎖され、これにかわって井上氏の代になると、前任者水野の経諠館の建物を襲用して藩校克明館を設立した(弘化三年)。目的とするところは新知識の輸入と人材の養成とにあった。【岡村黙之助 賀古公斎 篠崎小竹】このとき主命をうけて藩士岡村黙之助は蔵書の充実をはかり、大坂の蘭学者賀古公斎を介してその師篠崎小竹に図書の選択を依頼した。