克明館校則

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 克明館の校則は「講義毎月六回、輪読毎月十二回、詩文毎月六回、筆話寄宿生毎日」とあって、寄宿生については「定員二十人、通学生定員ナシ」とある。なお蔵書は一万余冊である(『大日本教育史』)。
 このころの藩校で特筆すべきことは、たんに家中のものだけを教育したわけでなく、城下の子弟でも篤学のものは入学を許可したことである。克明館も同様で、新町の内田正太郎(のち正)・伊場村(当市東伊場)の岡部譲・本魚(もとうお)町の醸造家に生まれた木村恒蔵(竜江)もその一例である。これらの人は私塾で読み書きを習得したのち藩校にはいり、武士の子弟同様学館の必修科目である武道を学んでいる。木村恒蔵は十四歳で克明館にはいり、二十歳のとき江戸の昌平黌に学んだことは前述のとおりである。