浜松宿内と周辺の私塾寺子屋

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 私塾・寺子屋は江戸時代にもっとも普及した民間の教育施設であった。これは藩によって建てられた藩校・郷校にたいし、個人が設けたものである。
 浜松における私塾のうち、もっとも早く、開設されたのは渡辺蒙庵(一六八七-一七七五)が若宮小路(いまの大工町)にひらいた塾であるという。賀茂真渕・内山真竜などもこの塾で勉学していることは前に述べたとおりである。蒙庵の私塾は地方としてはすぐれたものであり、遠州においてはこれにならぶものが見あたらないといわれている。
 別表は幕末から明治初年にかけて設けられた浜松宿内の私塾(下に示す)および寺子屋(次ページに示す)を表示したものである(大正十五年発行『浜松市史』による)。
 つぎに浜松および周辺の私塾・寺子屋について記してみよう。
 飯田村新貝(当市新貝町)に辻俊吉の開いた塾がある。俊吉(号寿々園、諱佳賢、文化四年七月十四日生)は長野村(磐田市)の鈴木巫山に漢学・書道を学んだのち子弟の教育にあたり、教えをうけるもの百余名を数えたという。俊吉の著書に『千字文和註』がある。明治二十七年八十七歳で没した(『浜名郡飯田村郷土読本』)。
 
塾主住所塾生概数
相曾小次平後道不明5.60人
野沢夏左衛門白山下3.40人
竹山佐平後道佐山流6.70人
大山万助清水不明
柏井房之丞元城4.50人
三浦勇次郎下垂長尾流
増井銀平名残不明
飯島新三郎下垂5.60人
渥美啓次郎作左山駿水流4.50人
早乙女又吉高町不明

塾主住所塾生概数
瀬川屋清助下垂佐山流・御家流100人内外
川合某女田町(女子)学問・生花20~30人
小野江忠兵衛田町不明70~80人
足立衛新町20~30人
真言院皓賢鴨江140人内外
岡部与三郎伊場30~40人
大雄庵楚州天神町