目次
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第七章 文化の興隆
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第四節 教育の普及
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私塾と寺子屋
下大瀬夷白
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積志村下大瀬(当市大瀬町)の栩木夷白は、寛政九年(一七九七)に生まれ、居村および近村の子弟に習字・四書などを教え筆子三百余人といわれた。明治元年九月十二日に没し、法名を震柳院明庵夷白居士という。夷白の教えをうけた筆子一同は翌二年三月、師の俳友幽篁斎烏玉(有賀豊秋)の筆に成る報恩碑を同地の清岩寺境内に建てている(『浜名郡積志村村誌』)。