一方女子教育の面をみると、本魚町本称寺第十七世普照院釈浄空の妻妙運(本名織江、弘化四年四月没、享年七十五)は書をよくし、女子の門弟六、七十人を(本称寺過去帳)、また馬郡村(当市馬郡町)では物集某・太田権次郎が読書・習字を、篠原(しのわら)村(当市篠原町)では鈴木繁吉・鈴木久作・久保田梁山・加藤隆徳・鈴木銀次郎らが読書・習字・算術を教えている(存立の時期不詳)。これらのうち「加藤隆徳が女子をも教育せしは、当時特に見るべきものとす」と『浜名郡史』に記されている。
またそろばん塾はこれらの寺子屋とは別に設けられた場合が多く、十軒新田(当市十軒町)の小粥惣十郎も算法・珠算を通じて子弟の教育をしている。