「日に五つ浮藤上る御着る物 笑友(ハママツ)」
ほかに浜松の士白・杉山・樹泉が名を連ねている。
【はまづと】只木は同二年三月、京都の福田鞭石(ふくだべんせき)・丹波亀山(亀岡市)の松風堂伽夕などの社中と歌仙(五七五、七七・五七五、七七と三十六句つづいた俳諧)をまいている。句集『はまづと』はこれをまとめたもので、おそらく『忍草』につづいて浜松で出版された句集であろう。
【俄雨】また同年九月、只木は浜松の紅梅軒濤鷗と協力して『俄雨』を版行している。小倉百人一首の頭五文字を笠とする笠付百七十五句、普通の笠付二百四十二句、四季別発句(ほっく)四百六十二句が集録されているが、大部分は遠江・三河・西駿の人々の句である。このころの地方版としては類のない珍しい句集である。
仏教的な習俗を記した『考守義』の奥書に、「享保二祀次丁酉五月 遠陽浜松泉松山別野於梅竹亭 釈深阿誌焉 同所中村宇兵衛只木開板」と記されているところをみると、只木の本名は中村宇兵衛といい、宝永ないし享保年間の浜松の富豪で、文化に理解の深い人と思われる。
【知石 孔雀丸 あふみ八景】京都の俳人鈴鹿知石(ちせき)(福田鞭石の門人、寸松堂と号す)が、享保年間に諸国から俳諧・川柳・笠付などを募集、その入選句を印刷した享保七年の『孔雀(くじゃく)丸』、同九年の『あふみ八景』などをみると、遠江からも多数の人が投稿している。
はまづと | |
鳥うたふ比家を出てすゑをおもへは | |
咲かかるこころの花や六十里 | 只木 |
塩見坂にて | |
東風吹くや浪の底ゆく漁師舟 | 只木 |
俄雨 | |
秋の田の歌は百首の三番そう | 浜松 和香 |
春すぎて夏いそがしきそうめんや | 同 雪上 |
夏の夜は蛇かとて飛ぶ繩切れ | 市野 一江 |
孔雀丸・あふみ八景 | |
ほんのふの牽牛星や逢瀬川 | 遠州西 十八公 |
見物も拳をにぎる御前的 | 同石田 招月堂 |
和歌の道一以て貫之古今の序 | 同ツルミ 亀鶴 |
笠の恩 | |
裃の花見や年の初桜 | 六々庵 巴静 |
白萩や花には霜を置まどひ | 浜松 蓮清 |
隠るゝに草は短し雉子の声 | 同 東周 |
水の影こほれて流す柳かな | 同 浮月 |