巴静の来遊

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 【笠の恩】芭蕉の門人各務支考(かがみしこう)に師事した美濃(岐阜県)竹鼻の太田巴静(おおたはじょう)(号六々庵)は、享保年間に江戸の佐久間柳居(さくまりゅうきょ)を訪れる往復の途次、浜松・新貝(磐田市)・金谷(榛原郡金谷町)などに立寄っている。これが機縁となって、その後たびたび遠江へ来遊し、ことに浜松の立季とは交わりも深く、こうして遠州地方は蕉風の俳諧を学び得たのである。新貝で出版された句集に『笠の恩』がある。
 【理然の歳旦 えぼしやま】寛保四年(一七四四)巴静が没したのちも、俳諧は盛んで、巴静の後継者如是庵理然の『歳旦』、二俣(天竜市)の『えぼしやま』などをはじめ元文から宝暦にかけて同系の俳書が出版されている。これをみると浜松地方からも投稿するもの百八十四人、その句二百四十が記載されている。そのうちの主な句を抜萃すると、
 
「裃の世をゆつりけり古暦        浜松連中 立季
       春駒や価千金鈴のおと   浜松連中 雪峨
 門松に年の青みや何千里        呉松   梅露
       華鳥に世をうつし絵や筆始 橋爪   理交
 長きためし餝るや年の御注連繩     橋爪   汀女
       照わたる初日や家の十寸鏡 堀江   其流」
 
 【理交 この女】右の句にみえる理交(りこう)は橋爪六郎右衛門(別号方大丸、涼々庵、百鶴仙)といい、橋爪(はしづめ)(当市中郡町)に居住した。明和五年(一七六八)十二月二十四日没し、同所の慶福寺に葬られた。また汀女とあるのは理交の妻この女の別号であろう。天明三年(一七八三)七月二十日に没している。この女の句は短冊として散見される。
 「あたら日を夢とはおしきさくら哉 この女」は、その一例である。
 
歳旦(如是庵理然、延享三年)
 飛梅の匂ひ配るや松の風   浜松  巴有
 白梅や華から先へ明の春   同   芦十
えぼしやま(宝暦八年)
 紫のかけ楮は藤よ烏帽子山   浜松  沾峨
 春風の裾をめくるやゑほし山   中の町 麦声
 雲の嶺風折かくすゑほし山   天王  竹島