芭蕉柳の句碑

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 蝶夢は天明八年四月十六日、俳弟子木姿と共に江戸を出て、二十五日浜松宿紺屋町の蓮華寺(れんげじ)の柳也をたずねている。ここで方壺・白輅等と昼夜清談をかわした。このときの句に、「短夜や春思いてて啼蛙 木姿」がある。また蝶夢の揮毫になる芭蕉の句「八九間そらて雨降る柳哉」を柳也が石に刻み蓮華寺に建てたのは、このときのことであろう。二十六日蝶夢は方壺にいざなわれ、白輅・柳也らと臨江寺に遊び、連歌・俳諧をよんでいる。
 
「箏のつらぬく露の落葉哉    蝶夢
 青鷺や草刈笠もたた一人    方壺
 暮残る山田の畔や花茨     斗六
 早乙女や筑摩の里の笠着連   白輅」
 
 二十八日蝶夢は、方壺の案内で北遠をめぐり、刑部(引佐郡引佐町)の莢全の家に泊る。翌二十九日には気賀(引佐郡細江町)を経て三ヶ日に宿り、さらにその翌日本坂峠を越して京都に向かった(『俳諧蝶夢』)。