白輅は浜松藩主井上河内守の家臣で、名を永田岩次郎という。若いころ鳴海(なるみ)(名古屋市)の下郷蝶羽(芭蕉門の下郷知足の子)に俳諧を学んだ。別号を枝法庵・花越斎・半閑室二世という。天明六年六月田中約我に、寛政十年正月和地村(当市和地町)の自笑庵橋夢(牧田伊兵衛)に連歌の秘伝を記した巻物を与えている。
【白烏】明和・安永年間(一七六四-一七八〇)には遠江各地に佐久間柳居系の同好者があり、金谷の西村白烏(にしむらはくう)も柳居につづいている。また柳居の高弟白井鳥酔(ちょうすい)門下に笠井の池田百洲・亀潤亭長川、金谷に月哉・雁里、釘が浦に漁之などがある。浜松薬師の一和、松嶋の白兎も柳居の高弟古川太蕪の門人であろう(村田長兵衛「煙霞綺談の著者西村白烏」『静岡県郷土研究』『松露庵随筆』『其葉うら』)。