雅君は名を中野文太夫といい、『松露庵随筆』にある智丸はこの人であろう。千砂は肴町の川上助九郎、去草は藤田権十郎(一七五二-一八〇八)である。
天明五年九月、永田白輅・吉田玄彦(徐生、浜松藩士)・蓮華寺(当市紺屋町)住職鳥居柳也・入野(当市入野町)竹村方壺の四人は、毎月十二日の芭蕉忌に歌仙を行なうことを申し合わせ、九月十二日から天明八年四月まで月並会を催している。この四人は当時の西遠屈指の俳諧宗匠といわれ、とくに白輅は俳諧の連歌に通じていた。会場は四人の庵を順に廻り、去草・是々堂知白(当市神明町、沢井佐助)・柴田虚白(浜名郡湖西町白須賀)・袴田斗六(当市入野町)らが時々加わっている。【このような歌仙の月並会】このような歌仙の月並会が、四年にわたって行なわれたことは、きわめて珍しいことである。
【柳也】柳也(号を一棺亭という)は紺屋町の玩照山蓮華寺の住職で、俳諧を蝶夢に師事し、立花・生花などもたしなんだ。文化九年(一八一二)十月、六十八歳で没した(久野仙雨『浜松句碑めぐり』)。
其葉うら | |
更てから家鴨仕舞ふやけふの月 | 薬師 一和 |
もう闇と捨てられぬ夜や虫の声 | 松しま 白兎 | 松露庵随筆 |
馬宿や脊戸一ばいの柿の花 | 笠井 百洲 |
夕凪や蝶しつまりて小雪ふる | 同 長川 |
麦蒔の日落ちて一畝二畝かな | 同 長川 |
とむほうや畑は粟殼稗のから | 同 左光 |
水口の分量見へて青田かな | 浜松 智丸 |
うき草や鮒の泡ふく日のうつり | 千砂 |
七夕にことしの寺子いろは哉 | 馬郡 去草 |
(表)柳也の一棺亭で挙行した初会の歌仙
九月十二日於一棺亭興行 | ||
懐旧之俳諧 | ||
寄合て夜舟に似たる時雨哉 | 玄彦 | |
帰咲よと花に啼く鳥 | 白輅 | |
棟上の上し棟の香目出度て | 貞波 | |
ちさい男と人は云ふなり | 古明 | |
澄のぼる月に夕餉の鍋の音 | 柳也 | |
葉の赤らみて透し萩垣 | 方壺 |