徐生

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 【徐生句碑】吉田徐生(一七四六-一八三三)は雪中庵蓼太の門人で、別号を玄々斎・風月庵・四海庵といい、天明以後棚倉におもむくまで浜松俳壇を指導につとめた(久野仙雨『浜松句碑めぐり』)。文政五年の『歳旦歳暮』に「梅三輪是より春のはなはなし 七十七翁 徐生」とある。浜松の兄弟庵連は徐生の功績をたたえ、文政六年二月「泡よりもちる花かろし水の上 徐生」と刻んだ句碑を浜松城内に建てている。(のちに伝馬町教興寺に移されたが、いまは残っていない)徐生は文政五年に棚倉で没したものと推察される。