目次
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第七章 文化の興隆
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第五節 庶民の教養・娯楽
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一 俳諧
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俳諧の庶民化
徐生奥州行
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【寿岳 竹坡 来圃】徐生が奥州へ去った後の浜松兄弟庵連は、玄々斎二世を継いだ蒲の寿岳、浜松の竹坡、薬師の来圃が中心となって、浜松以東(篠ケ瀬・永田・半場・市野・大柳等)の庶民の間に俳諧をひろめている。
寿岳は蒲神明宮(当市神立町)の神主で、名を蒲五郎清次といい、同家の三十代である。徐生の高弟で玄々斎二世を襲名した。文政十三年九月二十六日四十五歳で没した(『蒲家系図』)。
徐生梅の句 文政五年歳旦歳暮(浜松市城北 塚本五郎氏蔵)