閑里来住と志都呂俳壇

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 閑里は志都呂(当市志都呂町)松平鋳之丞(旗本)の侍臣で下山千蔵・別号松寿軒といい雪中庵完来の門人であった。文化年間勤務のため志都呂に来住し、領民教化のため俳諧を教え、句会を開いたり雪中庵の『歳旦歳暮』へ投稿するなど、文政年間には志都呂を中心として大いに俳諧が発達した。現存する『閑里斎判五句合』『松寿軒評三句合』によると、松寿軒社中では文政九年から十二年にかけて、毎月各地の同好者から句を募集し(応募句数千句以上)、これを閑里が採点、印刷して投稿者に頒布した。なお天保二年(一八三一)の『歳旦歳暮』に「古硯翠のはるにかへりけり 松寿軒七十五 閑里」とある。
 
歳旦歳暮(文政五年)
浜松兄弟庵連
 人間の人間らしやはなの春   玄々斎  寿岳
 国の恩我も四十四の花の春   同浜松  竹坡
 元日や童にもとる我かこころ   同薬師  来圃
 書そめやうしろに近きおよひ腰   同永田  美静

歳旦歳暮
 人波の匂ふにかすむやなき哉   遠志都呂連 閑里
 けふきりのとしを雨降山家哉   馬郡    五来
 松のかけ水田にうつる初日哉   入野    槐園
 はつ鶏の跡になりけり山の鐘   志郡呂   古梅
 青柳や水にくもりのなきあした   篠原    関月
閑里斎判五句合・松寿軒評三句合
 虫鳴くや桔梗ヶ原の薄月夜   志郡呂   可来
 月花も及はさりけり勝角力   半田    一虎
 起た子のふとんふるへは木の実哉   下大願   夷白
 鐘きくやひとりひとりに秋の暮   浜松    諸水
   かくれ家をまうけて
 はつ空や老にもかかるあたらしみ   浜松兄弟庵連 来圃
 岩ひとつ見上げて高し朧月   サヽガセ  兎舟
 先うれしみな人並に明の春   カヤバ   寿兆
 広原や小松にましるはるのくさ   ハマヽツ  竹坡
 三国に不二の友なし初日かけ   同似月斎 鶴山


浜松俳人系統表