天保年間の兄弟庵連 萱場兄弟庵連

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 【来圃句碑】寿岳が没したあと、兄弟庵連は小枝来圃を宗匠とし、浜松の竹坡・百梅・鶴山、萱場(かやば)(当市安間町)の寿兆が活躍している。来圃は薬師の俳人として知られ、天保四、五年ころ没し、いま薬師の薬師堂に辞世の句「雲晴れてことことく皆白雲そ」の碑がある。竹坡は浜松の町人仁右衛門、百梅は中村伝蔵であり、鶴山は藩士大河内氏である。
 【寿兆】来圃の没後は萱場の寿兆を中心とした蒲・植松・原嶋・笹ケ瀬・白鳥・長命などの同好者は萱場兄弟庵連と称して、浜松兄弟庵連より盛んであった。おもな俳人には寿兆のほかに寿秀・一歩・秋月らがあった(天保十五年『歳旦歳暮』)。