弘化三年の『歳旦歳暮』をみると雪の県連は二十か所三十八人の八十五句が記されており、天保・弘化年間が雪の県連の最盛期であったと思われる。
しかし、弘化五年の『歳旦歳暮』をみると、雪の県連は内野・平口・尾野(浜北市)方面の二十七人五十句が記され、別に方蠡を中心とする小松・木船(以上浜北市)など十九人の句は伏兎庵(村尾方蠡の別号)連として、また夷白を中心とする大瀬・半田・有玉・石田(以上当市)など十一か所三十一人の句は丹頂楼連として記されている。雪の県連の指導者横田守静か没し(弘化四年三月)てから分裂したと推定される。
天保・弘化年間の西遠地方における俳壇を知るために、この間に江戸の雪中庵で出版した『歳旦歳暮』八冊から俳人数をまとめたのが次ページの表である。
寛政から化政度へかけて三大家と称された一人に井上士朗(しろう)があり、その門に学んだ鶴田卓池(たくち)は(はじめ加藤暁台(ぎょうだい)に学ぶ)、芭蕉の正風を唱えた東海有数の俳人である。遠江では掛川在の伊藤嵐牛、入出(浜名郡湖西町)の久保田筌露、新居の飯田為中などが卓池について学んでいる。
脇起の俳諧(天保九年十月、芭蕉忌) | ||
しくるるや田のあら株の黒む程 | 芭蕉 | |
燃やす木の葉の匂ひ高々 | 夷白 | |
馬子も新糸のうちはすなほにて | 芊夫 | |
上すべりする町の入口 | 颿丘 | |
すんなりと月の出てゐる昼の空 | 蔕翁 | |
仲間をさそふ鯊のつれ時 | 烏玉 |
地名 | 人数 | 句数 | ||
人 | 句 | |||
浜松 | 25 | 74 | ||
大瀬 | 19 | 73 | ||
小松 | 19 | 46 | ||
内野 | 15 | 45 | ||
石田 | 13 | 56 | ||
志都呂 | 11 | 42 | ||
半田 | 10 | 34 | ||
大久保 | 9 | 84 | ||
蒲 | 9 | 39 | ||
平囗 | 9 | 24 | ||
有玉 | 8 | 13 | ||
薬師 | 7 | 22 | ||
前嶋 | 6 | 34 | ||
漆嶋 | 6 | 16 | ||
木船 | 6 | 10 | ||
半場 | 6 | 9 |
歳旦歳暮(弘化五年) | |
いねつむや春とこころのゆるみそめ | 丹頂楼連石田 応居 |
結かへる井戸の垣根やとしの暮 | 大瀬 嵐里 |
着替さす袂から出る土筆哉 | 笠井 燕石 |
よい春か来たと雀の友はなし | 有玉 烏玉 |
走りきて渦にまかれぬ落椿 | 夷白 |