「炎天の水軽々と流れけり ハマヽツ 如聾
水くさき寺の料理や蓮の花 ハマヽツ 諸水
昼はまだ日傘の見ゆる野菊哉 西鴨江 南亭
ちるさくら人は月日に追はれけり 社中 よし也
月の出るまては萩見るむくろ哉 浜松 如雪女
暮るまてよき日当りや橋むしろ 舟コシ 諸山
兀山も木山も笑ふあした哉 サイ主 柳也
三番茶や空の初音も摘そゆる 判者 如瓶」
【俳諧の庶民化】嘉永年間の浜松俳壇の特徴は、町民・百姓にいたるまで俳諧がよまれ、天保以前には見られないほど庶民化されたことである。
【良也 倍賢】催主の鳥居柳也は天明年間の俳人柳也の孫にあたり、弘化・嘉永年間蓮華寺の住職として生涯俳諧に親しんだ。如雪女とあるのは柳也の妻である。その子良也(養子、嘉永七年蓮華寺住職となる。鳥居法沖、のち曇心と号す)も俳諧・挿花をよくし、明治二十六年九月九日七十三歳で没した。南亭(一八二五-一八九五)は名を藤ケ谷嘉兵衛倍賢といい、西鴨江(当市西鴨江町)の庄屋で、別号を浩々処と称したこの地方の宗匠である。
年号 | 月別 | 枚数 | 応募句数 | 入選句数 | 運座入選句数 | 計 | 備考 | |
弘化 | 4 | 10月分 | 3 | 1080 | 158 | 42 | 200 | 大根・くわいの絵あり |
嘉永 | 元 | 2月分 | 2 | 705 | 62 | 20 | 82 | 貝をいれた籠の絵あり |
〃 | 4月分 | 2 | 750 | 113 | 15 | 128 | ||
〃 | 6月分 | 2 | 1400 | 95 | 18 | 113 | ||
〃 | 7月分 | 3 | 1500 | 125 | 62 | 187 | ||
〃 | 4 | 2月分 | 2 | 不明 | 58 | 18 | 76 | |
〃 | 3月分 | 2 | 〃 | 56 | 28 | 84 | ||
〃 | 9月分 | 2 | 〃 | 57 | 20 | 80 |