掛川画人

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 【以弘 松風 思玄】遠江に画壇らしいものが形成されたのは寛政・享和(一七八九-一八〇三)のころで、掛川(掛川)の村松以弘を中心として大庭松風・河村月嶂・大庭月湖・山田蘭陵(松風の弟、のち森町山田家をつぐ)・法多の僧思玄などがあった。
 【独湛 法源 浄空 真竜】しかしそれ以前にも画をかいた人達はある。僧独湛(一六五一-一七〇六)・僧法源(一六五一-一七三〇)・釈浄空(一七七〇-一八一七)・内山真竜(国学者、一七四〇-一八二一)などである。法源は享保十四年(一七二九)九月、実相庵(当市半田町)において自画像二枚を描き、浄空は富山の人で、寛政三年(一七九一)本称寺知音院(当市元魚町)の養子となった。晩年に梅を多く描き、また詩文・篳篥(ひちりき)をよくした(本称寺所在浄空墓碑銘)という。