浜松の画人

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 【青城 松靄 思斎 文明】浜松地方にも前述の熊谷青城・小栗松靄をはじめ浜松宿に若森長右衛門・鈴木増吉(号丹崖)・東島奥三郎(名恵、号雪樵忍斎)があり、また伊藤芦水(ろすい)・伊藤煙坰(えんけい)・樋口思斎(しさい)・小栗良三郎(号文明)などの画家が出て(天保元年『賀莚雲集録』)、ようやく画壇らしいものが成立されたのは文政年間か天保元年ころと推察される。【芦水】中でもっとも画技に長じていたのは芦水・煙坰などである。
 伊藤芦水は篠ケ瀬(当市篠ケ瀬町)の人で、通称茂兵衛、別号孤月窓、江戸の浮世絵師葛飾北斎(かつしかほくさい)に入門して彩色法を学び、とくに仏画の彩色に力をいれた。幕末西遠の異色の画家である。
 【煙坰】伊藤煙坰(いとうえんけい)(一七八四-一八五七)は植松に生まれ名を春蔵という。画系は不明であるが、花鳥・山水・人物など巧みで、その運筆は美しく「植松の煙坰」として知られた。安政四年に没し、法雲寺(当市旭町)に葬られた(『蒲の栄』)が、のち植松の円通寺に移された。作品には「十六羅漢図」(浜名郡舞阪町宝寿院蔵)などがある。

伊藤煙坰筆山水の図(浜松市鴨江 渥美静一氏蔵)