渡辺崋山とその影響

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 江戸末期の代表的画家に渡辺崋山(かざん)(一七九三-一八四一)がある。崋山(三河田原藩家老渡辺定道の長子)は金子金陵・谷文晁などに学んで浮世絵の長所や西洋画の陰影法をとりいれて独自の画風を開いて大成した。
 その門から遠江の福田半香・平井顕斎・永村茜山(せんざん)(崋山十哲のうち)らが出て、専門に絵を学ぶ者が多くなり、画会も各所で開かれるようになった(後述)。天保から安政年間ころまでを半香・顕斎時代とよび、崋山の影響がもっとも多かった時代である。なおこのころ見付(磐田市)には三宅鴨渓(みやけおうけい)が活躍している。
 【半香】半香(はんこう)(一八〇四-一八六四)は文化元年七月二日、見付に生まれ、名を恭三郎、初期の号を磐湖、別号夢斎または暁夢と称した。掛川の村松以弘・江戸の勾田台領(まがたたいれい)などに学び、のち崋山についた。最初は花卉をのち山水を研究し、椿山(ちんざん)の花鳥、半香の山水、琴谷の人物とならび称された。弟子に小栗松靄(しょうあい)・熊谷青城・樋口思斎らがあり、たびたびその家を訪ね指導・揮毫を行なうと共に浜名湖畔の舘山寺・新居の高師山・小沢渡(当市小沢渡町)の音羽の松など写生している。晩年は江戸根岸に居を構え元治元年(一八六四)八月二十三日病没した。享年六十一歳。いま磐田市見付の大見寺境内に石川鴻斎撰文の「半香福田翁の碑」がある。

福田半香筆舘山寺の図(浜松市鹿谷町 野島新作氏蔵)