その門から遠江の福田半香・平井顕斎・永村茜山(せんざん)(崋山十哲のうち)らが出て、専門に絵を学ぶ者が多くなり、画会も各所で開かれるようになった(後述)。天保から安政年間ころまでを半香・顕斎時代とよび、崋山の影響がもっとも多かった時代である。なおこのころ見付(磐田市)には三宅鴨渓(みやけおうけい)が活躍している。
【半香】半香(はんこう)(一八〇四-一八六四)は文化元年七月二日、見付に生まれ、名を恭三郎、初期の号を磐湖、別号夢斎または暁夢と称した。掛川の村松以弘・江戸の勾田台領(まがたたいれい)などに学び、のち崋山についた。最初は花卉をのち山水を研究し、椿山(ちんざん)の花鳥、半香の山水、琴谷の人物とならび称された。弟子に小栗松靄(しょうあい)・熊谷青城・樋口思斎らがあり、たびたびその家を訪ね指導・揮毫を行なうと共に浜名湖畔の舘山寺・新居の高師山・小沢渡(当市小沢渡町)の音羽の松など写生している。晩年は江戸根岸に居を構え元治元年(一八六四)八月二十三日病没した。享年六十一歳。いま磐田市見付の大見寺境内に石川鴻斎撰文の「半香福田翁の碑」がある。
福田半香筆舘山寺の図(浜松市鹿谷町 野島新作氏蔵)