茜山

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 茜山(せんざん)(一八二〇-一八六二)は幕吏の子として生まれ、本姓長谷川氏、名を寛、寿山と号したがのち茜山と改めた。幼時から絵を好み、十歳のとき崋山の門に入り描法・着色などの教えをうけて技能を発揮し、崋山幽閉ののちは諸国を遊歴して技を磨いた。弘化三年(一八四六)金谷に逗留した際、宿の組頭永村金左衛門に認められてその聟養子となり、組頭となった。文久二年十月三日没。明治三十二年福田半香の門人足立雪山が来遊した際、茜山の頌徳碑「画伯永村茜山翁之碑」を有志とともに巌室社の境内に建てた。その撰・書はいずれも西有穆山(にしありばくざん)である(杉江徳次郎『画界叢談』)。