思斎

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 樋口思斎(ひぐちしさい)の家は連尺町で味噌醬油の製造販売を営み、屋号を伊勢屋と称した。享保年間の歌人光治の家である。思斎は名を弥太郎、絵は花鳥を得意とした。半香・椿山・顕斎と交友があり、東西の画家はたびたびここに滞在したという。明治四年(一八七一)四月四日没。

樋口思斎筆山水の図(浜松市三組町 内田六郎氏蔵)