西遠・中遠の書家

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 天保十二年「風流九家会」(五七五ページ参照)の記録に西遠・中遠の書家として左記の三十六名がある。しかしこれらの人々はいずれも専門家でなく同好者と思われる。
 
「 思玄(法多) 淡庵(気賀) 隆斎(ヨコヲ) 緑介 子旭 長弘 梨堂(山梨) 竹山(掛川) 介石 任斎 如山 蒙斎(ノサキ) 大車 鴻庵 信圭 松堂 陽斎 白麓 文覚 橘堂 進庵(新居) 湖斎 杉幹 鉄心 松濤 巫山 希鳳 松靄(恒武) 松風 済美 慎斎 仁庵 桃宇 晩翠 蜄斎(舞坂) 石樵」
 
 【思玄 淡庵】このうち、思玄は法多山尊永寺(袋井市)住職で、画人・詩人としても知られ、淡庵は気賀(引佐郡細江町)の豪族岩井半十郎(のち気賀と改める)である。【蒙斎】蒙斎は新津村野崎(当市新橋町)の医師山内氏で、代々蒙斎と称した。【禅統】このほか、大雄庵(いま大雄寺)十二代住職禅統および前述の高林方朗・小沢仁庵などがある。