仁庵の逸話

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 このころ木戸町で甘酒を商なう老婆が、仁庵に甘酒の看板を書くことを依頼した。仁庵は快く承諾し、数日後にこれを書き与えた。老婆は礼を述べて帰り、行灯(あんどん)に貼って店先に出したが、その書が余り優れていたので、目に止めた武士を高価で譲ってほしいと頼んだ。老婆は喜んでこれを売り、再び仁庵にいま一枚の書を懇望した。それを聞いた仁庵は、かたわらの長持を指した。老婆が長持の蓋をあけると、なかには甘酒の看板の書きつくしが一杯はいっていた。そこで老婆は深く自分の軽率を詫びたという。
 仁庵は唐詩・万葉歌を好み、多くの作品を残した。【白華 小彦】自作の和歌はほとんど万葉仮名を用い、白華・小彦とも署名した。また奇行に富み、朝鮮使節が来朝して浜松に宿泊したとき、その服装を模倣して朝鮮風の衣服を作らせ、常にこれを着用し、結髪も朝鮮風に笄(こうがい)を用い、束髪して晩年までこれを変えなかったという。慶応元年(一八六五)四月十九日に没し、心造寺(当市紺屋町)に葬られた(大正十五年発行『浜松市史』)。
 【吉田の書画展観会】吉田(豊橋市)の画家恩田石峰は、弘化二年(一八四五)九月十四日、吉田駅で書画展観会を開催している。その目録によると遠江では書画合わせて九十名、浜松の書家には山田子旭・山田信圭・小沢仁庵・山本石樵・清水任斎があり、画人として山田子旭・浅羽芦水・樋口思斎がある。

小沢仁庵筆滝の歌(浜松市野口町 山下利夫氏蔵)