測量術

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 京都の吉田光好(角倉了意-五五四-一六一四)は京都の大堰川・駿河の富士川などを改修した人で、慶長十二年(一六〇七)天竜川の堤防を修理し、川底を掘って舟道を開き、信濃・遠江間の舟行を便利にした(『日本数学史』)。このため二俣(天竜市)・掛塚(磐田郡竜洋町)では木材や物資の集散が増して便益を得た。光好は簡単な測量や算術ができた人であろう。