察元の来遊

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 明和八年(一七七一)正月、囲碁の家元本因坊九世察元(一七三三-一七八八)名人は、上洛の途中、浜松五社明神社(当市利町)の神官森備前宅に立寄った。備前から九歳の少年源吉(山本源吉)が碁をよく打つことを聞き、同行の門人佐藤重次郎(初段格)と対局させたところ、源吉は五子(ごし)をおいて中押勝となった。察元は源吉の碁才の優れたことを知り、江戸で学ぶことをすすめたが、両親は幼年であるからと辞退したという(『坐隠談叢』)。