この源吉は浜松宿肴町に生まれ、通称源右衛門という。後年青木元悦と改め、出家して道佐と号(別号考祥)した。源吉が、江戸の察元に招かれてその門に入ったのは安永八年(一七七九)十七歳であった。まもなく二段を許され、天明五年(一七八五)に三段の免許を得て帰国。源吉はそののち各所で対局し、また自ら研究もした。寛政三年(一七九一)三月から尾張・美濃などを遊歴し、碁客服部因徹・桑名の宗資などと対局している(『素人棋拾遺集』)。寛政六年、ふたたび江戸に出て四段に進み、「浜松の源吉」と称せられて、そのころ囲碁修業のため諸国を遊歴する者で「浜松の源吉」を訪ねぬ者はなかった(『坐隠談叢』)、という。
【浜の松風】『浜の松風』は源吉の門人近藤玄瑞(号橘井斎淡山、磐田郡豊田村森本、医師)が、寛政九年(一七九七)の春源吉の打碁百局の棋譜をまとめたものである。【浜松の四天王】その序文に山本源吉を「浜松の四天王と衆人称せり」と記している(四天王とは渡辺蒙庵・賀茂真渕・山本源吉・小篠大記)。