【小倉政国】雪荷派の主流は森直忠から数代をへて三ケ日の石川氏に伝わり、また別系統は鷲津の小幡広吉から志都呂の小倉源太左衛門政国に伝えられた。これが雪荷派が浜松地方へ伝わってきた最初である。政国は鶴翁と号し、志都呂陣屋松平肥前守忠根の家臣で、近郷の者に弓術を奨励し普及につとめた(政国は天明三年三月十八日、七十五才で没し、志都呂の西全庵に葬られた)。【木部浄躬】政国の門弟でもっとも傑出していたのは木部叶坊丹治浄躬であった。浄躬は浜松高町(現、三組町)秋葉社の別当で、雪荷派の伝統をうけつぎ、文政・天保年間にあたって浜松地方に多数の門弟を養成した。
雪荷派系統表