秋葉講

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 秋葉講 秋葉山は火防の霊場としてあまねく知られた。【代参】早出村(当市早出町)では、毎月講金をつみたて、代参者が参拝している(『早出村村方諸入用割合帳』)。【秋葉鳥居】浜松では秋葉街道が東海道と交差する田町の角に、秋葉大権現の大鳥居があった。この鳥居は、嘉永五年田町の町民が秋葉山の神恩に報いるため建設したもので、はじめは木造であったが、のち「銅巻」として再建したものである(現在は撤去)。
 また小松村(浜北市小松)には、文政五年(一八二二)に建てられたという秋葉鳥居がある。これは小松村庄屋惣八の発起により、村民と協議のうえ、その寄付金で建てた石造のもので、石工は三州岡崎宿(愛知県岡崎市)の石原庄七・同加平の両人であった(村松陸平氏調査)。
 【接待茶屋】三方原台地の北端、秋葉街道筋の二軒屋(当市都田町)には、接待茶屋や旅籠屋、餅・甘酒などを売る店があった。また文政十年(一八二七)八月には、掛川宿から秋葉山越浜松宿までの間、山路で人家をへだて、参詣人も諸事さしつかえるため、豊田郡山中村(天竜市)地内へ、接待茶屋および灯籠壱対建立方について柴本村(浜北市)・松袋井村(袋井市)世話人発起、山中村名主組頭の奥印で勧化寄進方を願い出ている(『文政十年秋葉山道筋接待茶屋建立勧化帳』)。