庚申講 庚申講と日待を一緒にして庚申待または日待ともいう。この日みなが腹蔵なく話し合うことによって、互いの融和を図っていく上に大きな役割を果たした。浅田村では庚申講に「宮造りの庚申」を組内の施主にあたった家で迎え、御飯を供える。その米集めは子供の役で、「当人数(とうにんずう)」といって一戸から一人ずつ出る。床の間の庚申を拝んで精進料理で会食する。一年の最終回にあたった家では、特に供養餅をついて庚申に供えた(小池誠二「風習一束抄」『土のいろ』復刊第四号)。万斛村(当市中郡町)では若衆日待といって当番の家に集まり、夕食を共にして一夜を雑談したり座り相撲や花合わせなどして徹夜をする。夜が明けると庭に神酒・洗米を供えて日光を拝する。それがすむと鎮守に参詣して退散する(中道朔爾『遠江積志村民俗誌』)。 都田村では庚申日待に米三合ずつ集め、講中輪番で宿をする。ここへ掛ける軸は宮口(浜北市)庚申寺の青面金剛(しょうめんこんごう)である。いま当市入野中学校南麓に「寛延三(一七五〇)歳庚午正月吉日、青面金剛塔」と自然石に刻んだ庚申塔が建っている。
庚申像(青面金剛)(浜松市神田町下組蔵)