豊川講

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 豊川講 豊川講は三河国妙厳寺(愛知県豊川市)の豊川稲荷を信仰する講中で、都田村では茣蓙(ござ)講ともいって、畳表にする茣蓙を一枚ずつ出し合い、世話人が集めて雑用(ぞうよう)(種々の費用)のため奉納した。
 富士講 富士講は富士山信仰の講で、嘉永二年(一八四九)九月、浜松藩は「富士信仰先達と称え、俗の身で護符を出し、加持祈祷などすることを一切停止する」という触書を出している(『有玉村高林家諸用記』)。浜松大工町では寛政九年(一七九七)重兵衛・新平、同十二年浅五郎・重五郎が代参として富士登山をしている(裾野市『須山御師記録』)。