近世における風俗の全般にわたって記述することは困難なので、その一端を考察しながら筆を進めることとする。
農家の四季を通じて村のすがたを、とくに働く女子の生活を眺めてみよう。
正月三日が過ぎると、薪とりや農具の手入れをする。二月から三月にかけて堰や用水路整備の出役・田起し。四月に苗代作り・種まきの準備・麻畑や綿作の手入れ。五月の農繁期には麦刈り、家族惣出の田植え。若者の苗運び、早乙女の苗植え。田植えは女性が主役であった。田の草取りも女たちの労働、野良から上がり、簡単な夕食・麦しなべ・仕事の工夫、麦は男が荒搗き、仕上げは女、養蚕も女たちで、上簇近くには徹夜の仕事がつづく。家畜の飼料用の草を刈り、三方原の入会秣場で原草を刈るのも女、綿も女の手で摘み、秋になると田は黄金の波。しかし役人の検見で坪刈りをしたが、年貢米の取立も厳しかった。近世の農民は支配階級によって虐げられ、その上相つぐ天災・飢饉に生活はいよいよ窮乏に追いこまれた。
一年のうちで楽しみは正月・盆・祭り。農閑期でもゆっくり休めない。年間の漬物・味噌造りも女の責任、夜なべに女たちは苧(お)うみ・糸ひき・しの巻あるいは縞布の撰定・機織り・針仕事などして仕事着の準備をする。染料は藍のほかに草木染めも行なった。何といっても女たちの夜なべ仕事で最も過重な負担は衣服を作るまでの準備であった。