目次
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第七章 文化の興隆
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第六節 生活と習俗
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町や村の芸人
旅興行
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なお空地または寺院の境内などで、おもに歌舞伎狂言の旅興行が行なわれた。時代は明治になるが、同五年(一八七二)九月、下都田村(当市都田町)の空地で、市川鶴治郎一座の歌舞伎が四日間上演され(富田準作『都田村郷土誌』)、また同八年十月には、海老塚村(当市成子町)の大厳寺境内に、嵐歌女助一座が、雨天を除く七日間興行した。このときには「根笹の雪」を脚色した「大厳寺の仇討」を上演している(渥美静一 「演劇に見えたる遠江」『土のいろ』第十六巻第一号)。