【奉行所制】藩(駿府藩)がまず最初定めたのは奉行所制であった。これは明治二年(一八六九)正月領内十一か所(府中・浜松・沼津・掛川・相良・中泉・田中・小島・赤坂・遠江横須賀・三州横須賀)に新たに奉行所を置き、民事刑事等に関する裁判ならびに民政にあずからせ、地方行政の統一化を意図した制度であった。そしてその位置は旧来の藩庁の所在地等を踏襲した。そしてさらに補助機関として地方御役所(仮役所)をおいた(まもなくそれぞれの奉行所に吸収された)。【郡政役所 郡方役所】しかし、版籍奉還に伴う機構改革によって奉行所はまもなく廃止され、代って郡政役所が静岡・沼津・田中・掛川・中泉・浜松・赤坂におかれ同年九月より執務がはじまったが、郡政役所はさらに翌三年閏(うるう)十月郡方役所と改称された。
(図)