県令 林厚徳

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 【五年十一月】県令として額田県権令林厚徳(あつのり)(名東県士族)が着任したのは六年二月(五年十一月任命)であった。【石黒務 大江孝文】当時林厚徳は四十七歳、抜擢されて県令に任ぜられただけあって、権参事石黒務や権典事大江孝文などを用い、折から実施の大区小区制の逐行、地租改正問題などで難治といわれた県政に政治力を発揮し、よく治績をあげたといわれる。なかでも大江孝文は学事係笠原光雄とともに小学校の創立に努め、雷典事といわれたという。なお県庁官員百八人のうち九十三人までが貫属士族で、そのうち浜松県貫属士族は三十四人を占め、浜松県平民は少属の岡田良一郎(三十六歳)ほか四名であった。このように当時の官員の大部分が士族で占められていたということは、他県の場合と同様であった。